今何してる?

たらこ三姉妹の交換日記です。

ご案内。正体がわからなくなった方はコチラ。

こんにちは。たらこ三姉妹です。

交換日記形式で、日常のあれこれを書いていこうと思います。

 

まずは自己紹介を、、、

 

たらみ(25)

裸足がすき。

宇宙人はいると思ってます。

いつか自力で空を飛びたい。

 

たらよ(23)

濡れた石と宵待月が好き。

物陰に隠れ、「わああっ!」と大声を出し

人を脅かすことに人生の喜びを感じている。

 

たら子(23)

自分とはなんなのか、私はどこから来たのかそして、どこへ行くのかを探す旅中。

すきなのは作ること。でも少々お休み中。力蓄え中です。ハマってるのは無人島開拓(?)

目指してることは合格!です。なにかはひみつ。

 いつも不思議がられますが長らくいろんなアイドルのファンをやっていたりする。(ファン仲間はいつでも募集中)

忘れがちなんだけど好きな食べ物は餃子。(最近作れてない)爪塗るのもすき。

 

 

たらこ三姉妹のキーワードは、

平和と基地と沖縄と韓国とジェンダーフェミニズムと人権と日常。

 

自分ごとをみんなごとに。

みんなごとを自分ごとに。

 

 

 

 

地球は丸いtarami

誰かと別れる時に、「地球は丸いからいつか会えるよ。」と、言っていたことを思い出した。去年コスタリカまで行った時は、飛行機で乗り継ぎを含めずに約十二時間で着いた。コスタリカは大体日本の裏側にあると思う。地球儀でみると一番遠いところにあるはずなのに、一日の半分の時間で着いた。地球は丸いはずだから、どれだけ遠くに行こうとしても一番遠いところを過ぎたらまた近付く事になる。別れる寂しさは「物理的に距離が離れる」ということだけからきているわけではないけれど、そう思うと少し寂しい気持ちが薄れるから。

最近、新しい友達が何人かできた。会いに来てくれた友達も何人かいて、会いに来てくれた友達はもちろん帰って行く。見送る時に、昔感じていた別れへの寂しさを殆ど感じていないことに気付いた。「またね。」と言う言葉が嬉しくて、本当にまた会えるのかはわからないけど、それはきっと重要じゃない。

どこかで産まれて、生きていく中で自分以外と交差しながらそれぞれの時間を進んで行くような感覚を持っている。仲良くなったらその人の存在が自分の中に産まれて、自分の世界が変わっていくような気がする。自分の世界を生きているけど、世界は自分だけじゃない事を、人と会うたびに気付き直している。それが不思議と毎回新鮮で、楽しい。

帰る場所の話を友達としていた。自分の帰る場所はどこにあるんだろう。いくつもある。増えて行くだろうし、でも、それは住む場所とはまた違う。

うちに遊びに来てくれる人達は、玄関の扉を開ける時に「おかえり」と言ってくれる。出て行く時は「ただいま」と言ってくれて、ごはんを食べる時は「いただきます」と言う。そんな時、自分がいるこの場所が、ひとときでも「帰る場所」になっているようで嬉しい。いつか、自分の暮らす場所を見つけるのか、いつのまにか暮らしているのかわからないけど、誰かの帰る場所の一つになっていたらそれは幸せな事だろうなと思っている。

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帰る場所のひとつ

 

 

<生の否定>の否定 たら子

 びっくりするくらい前回の更新から月日が経っていた。その間私の環境も変化したし、世界も大きく変化した。

 そうした間、大きなちからに私たち(民衆や市民を指そう)が潰されそうになるとき、大きなちからを目の前に途方に暮れてしまったとき、どうすればいいのかをずっと考えていた。それはロシアとウクライナの戦いをみて、そしてパレスチナで行われているジェノサイドを見て強くなった。(正直日本に住む自分の足元を見ても大きな権力によって日々、真綿で首を絞められているような状況ではある)

 「生」の否定は論理的に成立し得ない。生きてこそ、全ては始まる。と言うことは大きな力によって人々の生を否定する戦争や殺戮はどんな理由があっても成立しない。私たちはこれが正当な行為のように行われている今を拒否しなくてはならない。

生きようとする全ての人には生をまっとうする権利がある。それを阻害しては、攻撃してはならない。誰だから殺していい、誰だから殺してはいけないなどと言うことはないのだ。大人も子供も犬も猫も兵士だって殺されてはならないのだ。

 そして想像と創造を忘れない社会を求めたい。破壊や諦めでこれからの道を断つのではなく生きること、前にある道を進むことによって生をまっとうしたい。私もあなたもそう思える社会となれたら嬉しい。

これを読んでくれたあなたを想っています。

 

STOP THE GENOCIDE

 

いま、ここ にいます、たらよ。

私は小っちゃい頃から、全部持ち歩きたい人だった。

直近にもらったカバンとか巾着に、私のだいすきなもの、全部入れて

どこへ行くにも持って行く。

入れたものを使った試しはなかったけれど

とにかく手元に全部、置いておきたかった。

 

対して弟は、なんにも持たない人だった。

同じサイズ、色違いで持っていた引き出し、

私の一番下の段は、教科書とか保存用書類とかで重たくて車輪壊れそうになってるのに

弟のはスッカスカ。いつもスムーズに開いた。

あ、だけど、ある時期ずっと木刀持ってたな。

寝る時も一緒だった。

それ以外はほんと、ものを持たない人だった。

 

そんな弟が一人暮らししていたとき、

部屋に入れてもらったら本棚があって、

まあ本棚というか、カラーボックスの二段のを横にしたみたいなのだから

とても小さいものだけど。

さらにその半分は物が入っていて、

本といえば5〜6冊くらいしかなかった。

その中の1冊が『嫌われる勇気』だった。

 

実家であるこっちの家に段ボール何箱も荷物が送られてきて

中にあの本があった。

カバーもなくなって、日に焼けていた。

書店でも長い間平積みされていたのを見ていたっていうのもあり、

ふーーん

って感じで読み始めた。

 

青年と哲人の対話形式の本。

ちょっと熱すぎる台詞もあるけど、全体としては読み進めやすかった。

 

私は本を読んでいて気になるところに線を引いたり、

ページを折ったりするということはできず、

できれば付箋をしたい(本には傷をつけたくない)のだけど、

いざここ!って思うとき、手が届くところに付箋がないこと十中八九なので

今回も、とりあえず読むことに集中して、

読了した後、サラサラとおさらいしながら、

気になるところを付箋じゃなくて、今回は日記帳に写した。

10ヶ所以上あった。

 

中でも、「いま、ここ」を真剣に生きること、は

目から鱗だったな。

一部引用すると

人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。あなたは過去や未来を見ることで自らに免罪符を与えようとしている。過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。

 

人はいつか死ぬ

ってことは本当だったし、そのいつかは今日かもしれない、明日かもしれない

はたまた10年後かもしれない、

って思うと。

そしてそれが私だけではなく、一緒に暮らしている人や、

離れていても大事に思う人も

同じ条件であると思うと

何だか急に、

ありがた・・・・・

って思えてくる。変な感じ。

でもそんな気持ち。

 

ただその「いま、ここ」が

今さえ、ここさえ、自分さえ

っていうのとは違うんだけど、どう違うのか言葉にできない。

〜さえ、がつくときは、どこか後ろめたさを誤魔化している感じはする。

 

まあ、そういう本を読んだたらよは

人生の目標を設定してそのために今日をコツコツ・・・型

になろうと頑張っていましたが

今日を楽しく生きよ〜型

の部分も大事にするようになりました。

 

ひとつ悩みを言えば、

今日を楽しく生きよ〜

と思っている私と同じ時間、

帰る場所がなくて路頭に迷っている人や

食べるものがなくてお腹を空かせている人や

いろいろな暴力に遭ってしんどい思いをしている人が

生きているということ。

それを知りながら、私はどう

「いま、ここ」を生きるのか

ってことかなあ。

 

旅は続く。

 

たらこ「二十の質問」2023

二十の質問

たらみ→み たらよ→よ たらこ→こ

 

1 パッと思い浮かんだ本の題名は?内容や思い出とともに教えて。

み コリンウィルソン「アウトサイダー」本の中の一節をプレゼントされたことがあった。当時、父に借りて読んでいたんだけど全然読めなかった。3年後くらいに何故か30ページくらいだけ読み進められた。だけどそれ以降読めてないし内容も覚えてない。また読み始めるタイミングがいつか来ると思う。

よ 村上春樹「女のいない男たち」ドライブマイカーの原作。たまたま広島に行ったときに持っていっていて、初対面の友達と盛り上がり、中工場まで行ったきっかけの本。

こ 瀬尾まいこ「夜明けのすべて」入院しているときに読んでいて、いつでも助けてくれる人は誰かしら現れるんだなあと思った本。

 

2 旅に出るときに持っていくあなただけに必要なもの。

み 大事な人からもらった手紙

よ お守り的アクセサリー

こ 今読んでる本

 

3 おでんの具トップスリー。

み 1染みた大根 2銀杏 3蓮根、木耳など食感がいいものが入った練り物(おでんは柚子胡椒派)

よ 1くたってしてない大根 2ひとり一個の卵 3憧れの餅巾着

こ 1いい感じの大根 2餅巾着 3こんにゃく

 

4 他二人の性格を一言で表すなら。

み たらよ→自分の中に答えが既にある。 たらこ→声の調子があまり変わらない。

よ たらみ→AかBかって聞いたら、Yっていう人。 たらこ→ずっと入ってられる温泉。

こ たらみ→いいタイミングで電話かかってくる。たらよ→気になる。

 

5 最後まで捨てられないものは。

み 誰かが私にくれたもの。

よ 手紙。

こ 手紙と授業のノート。

 

6 あなたのバイブルは?

み 山口勲ボタ山のあるぼくの町」

よ 水野スウ・中西万依「ほめ言葉のシャワー」

こ 金子文子「何が私をこうさせたか」

 

7 思い出すたびにハラワタが煮え繰り返る出来事はなに?

み 思い出せない。

よ 今年のお正月、紅白のかまぼこを人数分切ってあったのに私の分がなかったこと。

こ とっさに腰を触られたとき。

 

8 この三日以内の幸せ。

み 今。

よ 大好きな人に会いにいけてること。

こ この前たらよに会えたことと、たらみにあげる帽子が完成したこと。

 

9 やらなきゃいけないけどやってないこと

み Visaを調べる。

よ 時計屋さんに行ってない。

こ 発表会の原稿作ってない。

 

10 自分を喜ばせる一番簡単な方法

み 好きな人と喋る

よ 銭湯に行く

こ 好きなアイドルを見る

 

11 スーパーで思わず買ってしまうもの

み お惣菜の餃子

よ 生クリーム

こ トマト

 

12 最後の晩餐

み 母が作ったご飯

よ 塩むすび

こ 餃子

 

13 こんな人にはなりたくない。どんな人?

み 数珠と指輪をジャラジャラつけたムキムキの腕を見せつけてくる人

よ 有名人との関わりをアピールしてくる人

こ 会話ができない人

 

14 作る元気はないけど、お腹が空いているときに作る料理は?

み うまかっちゃん

よ 家にある野菜で作るスープ。

こ 葉物野菜と肉を入れたうどん

 

15 二人それぞれに紹介したい曲を教えて。

み たらよ→キリンジ「エイリアンズ」たらこ→憂歌団「おそうじオバチャン」

よ たらみ→Earth, wind and fire「September」たらこ→手嶌葵「明日への手紙」

こ たらみ→GOING STEADY銀河鉄道の夜」 たらよ→青葉市子「月の丘」

 

16 あなたが一番使える道具は?

み 鉛筆 削ってなくても細い線がかける。

よ 足の指(引き戸を開けられる)

こ 編み棒かかぎ針

 

17 今まで自分がやった最高の抵抗方法

み 消える。

よ キュートな笑みを浮かべた嫌味。

こ タイムラグなく怒る。

 

18 昔は恥ずかしかったけど今は大丈夫になったことは?

み 久しぶりにあったイトコとすぐ話せる。

よ 誰の前でも生理痛の話ができるようになった。

こ 手紙書く。(昔は泣きながら年賀状書いてた。恥ずかしくて)

 

19 洗濯するときの譲れないこだわり

み タオルを干すときにぶっ叩いて干してる。(手拭いでも)

よ 手拭いは端と端を揃えて二つ折りで。タオルは重なる部分がなるべく少ないように干す。

こ なるべく早く洗濯を終わらせる(だから裏返った服ばかり)

 

20 自分の部屋をデザインするときに絶対置きたいもの。

み 本

よ 電球

こ 本棚

たらみと学び

私はもうすぐ24歳になる。

24年間っていうと、それはもう大した年を生きたと思う。もう十分じゃないか。いや、十分じゃない。私は貪欲なのだ。

しかし最近、24歳にもなるのによく泣くようになってしまった。その対象は例えば、庭の山椒についた幼虫の成長だったり、小学校の運動会のリレーで、最下位になっていることなど気にも止めずに懸命に走る小学生だったり。手紙から伝わる気持ちに触れた時や、今朝の新聞の四コマだったりする。

驚きや、真剣さや、喜び、嬉しさといった自分以外の誰か(何か)から何かを受けた時の、自分の反応の副産物として、涙がくっついているんではないかと思っている。けど、本当はどうなってるのかわからない。わからないのがいいね。

とりあえず、出そうと思って涙が出るんではないことは確かだ。

そんなよく泣く24歳になりそうな自分は、いったいどんな人間なんだろうか。

たらこ三姉妹の長女。父と母の娘。大工仕事をしている。海で遊ぶ事が好き。椎茸はまだ食べられない。好きな人がたくさんいる。猫がよく寄ってくる。一年か二年ぐらい前に作ってもらった指輪は、釣れたての太刀魚の腹みたいに銀光りしていて、気に入っている。よく泣いて、よく寝て割と短気だ。そんな要素がたくさんあって、それぞれ私の中で占めている比重は違う。年と共に変化したものもあるし、ずっと変わらないものもある。

昔から、全然変わってないね。と、付き合いの長い人からよく言われる。

見た目も中身も確かに変化しているはずなのに、変わらないものっていったいなんだろうか。

それが、私を私たらしめる核なのかもしれない。

それを私はまだ知らない。f:id:tarak03:20221127190206j:image

 

くりかえす、 たら子

毎日繰り返していることがある。

 チャイを淹れること、ヨーグルトに何らかのフルーツを入れて食べること、論文を少しずつでも書くこと。たまに欠けたり忘れたりする日もあるが結局戻ってきてしまう、この習慣たち。繰り返す事がある、ということは私の中できちんと毎日が進んでいることを実感するための確認地点だった。今日もまた一日が始まる、または終わっていく......。

 調子が悪くて伏せっていると、毎日が地続きになっているように感じる。あたまの中では何も進んでいなくて、何もなし得ていないのに陽が登ったり沈んだり世界が勝手に進んでしまっている。そんな日もだんだん減ってきて、むしろ何もやらない事に憂鬱さを感じ始めていた時、行きつけの本屋でなんとなく買ったのがチャイミックスだった。すでに茶葉といくつかのスパイスが混ざっていて、手順に沿って煮出せば美味しいチャイができる。なかなか便利なもので淹れようと思えばいつでも作れるところが良い。卒論を書くには茶やコーヒーの類がいいお供で毎日消費しているため、たまの気分転換に甘いお茶は良い。(ちなみに蓮の葉茶もなかなかいい。とてもハマっている)

 何かを沸かす、という行為は時の進みを緩やかにする。ふつふつと湯が沸く姿を眺めている時、鍋の中を踊る茶葉たちが浮いたり沈んだりしていく様、ぼこぼこと生まれては弾けていく泡。そういうものに気がとられている時、キッチンでひとり違う世界へ飛んでゆく。そうして沸いた湯は注がれていくとき、冷水とは全く違う音を奏でながらコップに落ちてゆく。空気を含んて低くなった音。温かさが流れ出てくる音。私にとって「飲むこと」は副産物のようなもので、この「淹れる時間」の方が遥かに重要なのかもしれない。

 

今日もキッチンで火にかけた鍋の前にたつ。周りには違う時間が流れている。

 

 

 

 

追記

ついに自分でスパイスを調合してチャイを淹れ出しましたがこれがなかなかイケるのでいつがご披露したい所存でございます。