選挙!!
選挙いきましたか。どうでもいい、めんどくさいなんていわないで〜あきらめないで〜
一人の人間が誰かのために、自分のために行動するということ。変化は分からなくても、自分を変えるためにしなければいけないとガンジーさんがいってましたよ。たらみは今回行けなかったので一生の悔いをまた一つ増やしてしまった。
現住所にいない人は油断しないで早めに役所に連絡しよう。ほんとに。
そして日本国外に用事で行っている方、時間あれば大使館に行くか郵便投票やってみて下さい。
選挙いったー終わりーではなく、そこから広げよう、繋がろう〜
選挙から話を変えます。最近のことをちょっと。
その日は二週間ぶり?のまともなお休み。二年前くらいからずっと行きたかった、アイヌ文化博物館と萱野茂二風谷アイヌ資料館に行ってきたんだな。
博物館の展示、修造資料について
狩る、採る、耕す、織る、編む、縫う、装う、彫る、祈る、弔う、歌う、踊る、語る…
大自然と共生し、人間としての誇りを尊ぶ、その知恵と精神を学ぶための博物館です。
Hunting,gathering,cultivating,weaving,sewing,dressing,carving,playing,dedicating,singing,and telling stories...
This is a museum where we live in harmony with nature,take pride in our humanity, and study wisdom and ways of life.
展示してあるものは萱野茂さん(1926-2006)が半世紀にわたる歳月をかけ収集された民具や、自ら復元制作されたものが基礎となっている。
丁寧に使い込まれ、ある特有の静かな艶を放つイタ(盆),女性を表しているというトンコリという弦楽器、大木をくりぬいて作られた船、造血作用のあるといわれるハンノキでつくられたおしゃぶり…それらは木材や生き物の皮や植物の繊維から作られ、その殆どに精巧な、なんともいえない美しい細工が施されている。その文様はいくつかの組み合わせからできており、一つとして同じものはない。タバコ入れやキセルやマキリなんか、とっても見応えがある。思わず触れたくなるほどに魅力的で、繊細で大胆で。中でも目を引いたのがあつしという着物。オヒョウなんかの木の皮で、時間と手間をかけて丁寧に丁寧にできたもの。この模様、見事。
アイヌの魂の一片がここにある。
ウエペケレ(昔話)やユーカラ(神謡)などの口承、伝承芸術ともいえるたくさんの記録も残っており、文字を持たないアイヌの世界がそこから広がって見えてくる。
鳥肌がたった。いいねえ。ため息。
記録、というのが少し残念なのだけど。
ここにきた目的は、二つ。
一つは、アイヌの記録を写真ではなく現物を見るため。触れるため。
も一つは、アイヌを知るため。
日本の歴史を少し復習、学習する感じだけど。いわゆる大和民族が今の北海道に侵略した形でアイヌの地を奪い、壊した歴史は事実であるのに知らない人が多すぎるのでは。自分も含め。
教科書や学校教育のことも繋がるね。
まず前提として、日本は単一民族国家ではない。
wikiでちょっと調べただけでもたくさん。
日本政府が国際人権規約に基づく国際連合への報告書に、同規約第27条に該当する少数民族として記載しているのはアイヌ民族のみである。
アイヌ - 北海道・千島の少数民族。
ウィルタ - 樺太の少数民族。
ニヴフ - 樺太の少数民族。
沖縄県や奄美群島(鹿児島県)などの旧琉球王国領域の住民を、琉球民族と捉える考え方がある。(他、琉球語も参照の事)
欧米系島民 - 小笠原諸島の開拓・移民の末裔。
山窩 - 本州の山地を移動しながら生活していた集団民族…
山窩は、椋鳩十さんの書いた本がおもしろい。にしても、公式?かどうかは別としていわゆる大和民族だけではないってこと。
日本はたくさんの人が集まってできていて、一人一人がもちろん違う。
だからこそあるべきは本当の民主主義。多数決、数で推し進めることではなくて少数派の意見こそを生かすことじゃないかな。お。話が逸れ出した。
一つのことを勉強しだすと、沢山に繋がる法則だ。戻そう。
アイヌは今の北海道と呼ばれる地を、アイヌモシリと呼んでいた。
「人間の静かな大地」と呼び、誰にはばかることなくその広大で美しい自然とともに自由にくらしてきた。ちなみに自由というのは、傍若無人にやりたい放題に、好き勝手に!というのとは違うよ。
山に生える草木や川、鮭や鹿、熊。謹厚に想い、それらは神であり祈りであった。
その暮らしは現代の機械的大量生産時代から見れば原始的で、いわゆる「遅れ」ているように見えるかもしれないけれど、本当にそうだろうか。
文字を持たないことが知能が低いことになるんだろうか。
祈りや儀式に意味があったころ、神は確かにいたのではないか。今、観光客相手に1日に5回も6回も儀式をやるソレとは時空レベルの異なるものなのじゃないかと考えてしまう。
沖縄にいた頃、琉球の事を学んでいる時に聞いた「琉球とアイヌは似ている」
それは出土した骨の骨格だけの話では無いと思う。
その歴史。道具。どちらもはっきりと違うのに同じ匂いを感じる美しい芸術的感覚、色、歌。
萱野茂さんの資料館に行くと、そこは、一目見るだけでは寂れた観光地、物置小屋、人気のない体育館のようだった。
重たいドアをあけると埃っぽい空気。ガラス越しに目があったのは伏し目がちなパンチパーマのおばさん。いや、パンチとまではいかないか。
人は他誰もおらず、外よりもひんやりとしている気がした。そこで私を待っていたのはアイヌの記憶をもつものたち。
埃の層が分厚くできているものや蜘蛛の巣をまとっているものもあった。でも、それは博物館よりも本当に近いところにある。手を伸ばせばさわれてしまう距離。これがいい。触れるのがいい。
壊れそうなものや、ガラスケースの向こうにあるものは触らないけど。
同じものを、触れた人がいる。これをうみだした人がいる。
すごい。アイヌが食べていたものがある。魚を開いたもの、木の実、穀物。保存の方法、状態がすごくいいんだと思う。何十年たった今でも食べられる。
感動がどんどんあって、言葉が追いつかない。人間って素敵だ。
部屋の隅に、錨がゴロンと置いてあった。錆びと埃と何かの汚れでまだら色をしている。
その横には説明書きが、ポンと地面に置かれている。
「これは、水俣というところからやってきたのです。水俣というところは昔、本当に美しい場所でした…」
一つの差別に目を向けた時、たくさんの隠されたもの、小さなものに気付くことができる。気がした。
参考。本多勝一「先住民族アイヌの現在」。季刊「銀花」第十九号 特集手仕事の民族アイヌ。姉崎等「熊にあったらどうするか」。計良智子「フチの伝える心」。アイヌ文化博物館。萱野茂二風谷アイヌ資料館、