今何してる?

たらこ三姉妹の交換日記です。

いま、ここ にいます、たらよ。

私は小っちゃい頃から、全部持ち歩きたい人だった。

直近にもらったカバンとか巾着に、私のだいすきなもの、全部入れて

どこへ行くにも持って行く。

入れたものを使った試しはなかったけれど

とにかく手元に全部、置いておきたかった。

 

対して弟は、なんにも持たない人だった。

同じサイズ、色違いで持っていた引き出し、

私の一番下の段は、教科書とか保存用書類とかで重たくて車輪壊れそうになってるのに

弟のはスッカスカ。いつもスムーズに開いた。

あ、だけど、ある時期ずっと木刀持ってたな。

寝る時も一緒だった。

それ以外はほんと、ものを持たない人だった。

 

そんな弟が一人暮らししていたとき、

部屋に入れてもらったら本棚があって、

まあ本棚というか、カラーボックスの二段のを横にしたみたいなのだから

とても小さいものだけど。

さらにその半分は物が入っていて、

本といえば5〜6冊くらいしかなかった。

その中の1冊が『嫌われる勇気』だった。

 

実家であるこっちの家に段ボール何箱も荷物が送られてきて

中にあの本があった。

カバーもなくなって、日に焼けていた。

書店でも長い間平積みされていたのを見ていたっていうのもあり、

ふーーん

って感じで読み始めた。

 

青年と哲人の対話形式の本。

ちょっと熱すぎる台詞もあるけど、全体としては読み進めやすかった。

 

私は本を読んでいて気になるところに線を引いたり、

ページを折ったりするということはできず、

できれば付箋をしたい(本には傷をつけたくない)のだけど、

いざここ!って思うとき、手が届くところに付箋がないこと十中八九なので

今回も、とりあえず読むことに集中して、

読了した後、サラサラとおさらいしながら、

気になるところを付箋じゃなくて、今回は日記帳に写した。

10ヶ所以上あった。

 

中でも、「いま、ここ」を真剣に生きること、は

目から鱗だったな。

一部引用すると

人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。あなたは過去や未来を見ることで自らに免罪符を与えようとしている。過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。

 

人はいつか死ぬ

ってことは本当だったし、そのいつかは今日かもしれない、明日かもしれない

はたまた10年後かもしれない、

って思うと。

そしてそれが私だけではなく、一緒に暮らしている人や、

離れていても大事に思う人も

同じ条件であると思うと

何だか急に、

ありがた・・・・・

って思えてくる。変な感じ。

でもそんな気持ち。

 

ただその「いま、ここ」が

今さえ、ここさえ、自分さえ

っていうのとは違うんだけど、どう違うのか言葉にできない。

〜さえ、がつくときは、どこか後ろめたさを誤魔化している感じはする。

 

まあ、そういう本を読んだたらよは

人生の目標を設定してそのために今日をコツコツ・・・型

になろうと頑張っていましたが

今日を楽しく生きよ〜型

の部分も大事にするようになりました。

 

ひとつ悩みを言えば、

今日を楽しく生きよ〜

と思っている私と同じ時間、

帰る場所がなくて路頭に迷っている人や

食べるものがなくてお腹を空かせている人や

いろいろな暴力に遭ってしんどい思いをしている人が

生きているということ。

それを知りながら、私はどう

「いま、ここ」を生きるのか

ってことかなあ。

 

旅は続く。