ドタバタとしていた大学2年の冬も終わって春休みになった。病気になったのは本当に予想外のことだったから、とりあえず春休みまで突っ走ろう。全てはそこから。と思った冬だった。
去年の春とは打って変わって身動きが取れずじっとしている。冬眠中の熊みたいにのそのそと起きてご飯を食べて編み物をしたりずっとできずにいた家の掃除をしたり。調子がいい時は散歩したりして、お風呂に入って寝る。でもあまり眠れなくて困る。生活は一定だけど気持ちの波は大きいみたいだ。浮いたり沈んだりする日々。お守りみたいな、お手本みたいなことばを身の回りにたくさん置いてしまう。それは音楽だったり、誰かの呟きだったり、日記だったりする。写真の時もある。朝起きて(最近は眠れない夜が続いて起きると昼なことが多い。)カーテンを開けてそれらをそっと開いて目を閉じる。そういうものに助けられている。
日々めまぐるしく時に辛いほど回転する頭の中を、鬱々とコップに溜まっていく思考を少し書いてみようと思う。こうして書いた自分のことばがお守りになるように。
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家の中で1番好きなところはどこだろう、と考える。今住んでいる家は引っ越してからそんなに日付は経っていないけれど案外思い入れがある。引っ越し直後からやけに来客が多い家だった。その節はどうもありがとう。みんなのおかげでここでの生活がスタートできた。
年々長風呂が過ぎるようになっている。昔から温泉やら銭湯の類は好きだった。でも家の風呂はめんどくさくて嫌い。入ってしまえば何ともないのだが入ってシャンプーをしてトリートメントをして体を洗って風呂に浸かって出てドライヤーをして……この流れを終えることがただひたすらめんどくさい。だからシャワーしかない家が定番だった島での暮らしは最高だった。暑い外から汗ダラダラで帰ってきてチャッとシャワーを浴びてクーラーの冷気を浴びる。本当に最高だったな。
そんなわたしも内地に来て久々に日常的な寒さを経験するようになった。この寒さに晒された体はシャワーを浴びるだけでは温まらない。頻繁に湯船に浸かるようになった。温度は高すぎるとすぐのぼせてしまって楽しくないから中間くらい。何か、本が読めるものや音楽が聴けるものを持ち込んで入る。気づくと1時間以上経っていることもある。部屋で読むよりも外で読むよりも、お風呂で読む本が1番楽しい。風呂の快適度をどんどん上げていきたい。みんなのおすすめ風呂グッズはありますか?
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「適度な運動があればいいですねえ」
月一の通院で言われる。そりゃそうだろうな。と思う。どんな人にも運動は大事。ていうかもっと運動が記録とかうまさを超えてカジュアルに楽しめるといいよね!とかぼんやり考えながら聴く。歩くのが好きだからまあ足りない日もあるだろうけど大丈夫だと思います。と胸を張って言ってみたら先生が微笑んだ。そうしているうちに春休みが来る。何もないと外に出ないまま1日を終えることになる。すると歩数計の数がぐんぐん減っていく。(今見返してみたら何と8歩の日があった。一日中どうやって生きたんだ。)
だから散歩ばかりしている。無理矢理にでも外に出る。フラフラと家の周りを歩いてる時もあるし、それに飽きると気づいたら電車に乗ってることもある。移動手段としての「歩く」ではない歩くということ。いろんなことが見えてくるんだ。
いつも通る川沿いの道はなぜか強烈に野沢菜漬けの匂いがする。畑と家と川しかない道なのに。なぜだろう。
この前までキュッと口を結んでいた桜の蕾が膨らみだした。今年もたくさん咲くだろうか。
二日に一回くらい会うカートにわんこを乗せて散歩するおばあちゃん。今日も元気そう。
狙っていた貸し畑が満員になっていた。きっとみんな今の時期だからこその新たな娯楽として始めたんだなあ。わたしも早く借りればよかった。
月並みだけど今日も元気でよかったと思うのだ。こういうちょっとしたことに気づいて何かを感じられる健康なからだ。息をしているということ。
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10年。
随分と遠くまできてしまった。旅をして旅をして。もうわたしの帰る場所では無くなってしまった場所。一度仕方なく帰った時、胸を高鳴らせて降りたあの駅はもうわたしの知るそこではなかった。妙にぎくしゃくとしていておもちゃのように見えた。眠れない夜、ふいにあのままあそこにいたらどんな未来だったのだろうと考える。どうやって生きていただろう。
今まで不思議だったのは、どこに行っても匂いを嗅ぎ分けるように磁石が引きつけられるように同じ道を辿ってきた人と会ってきたということ。そして言葉にしなくても何かを共有してきたということ。そんな人たちに助けられてきた10年だった。でも原発はまだこの国にいるつもりらしい。嘘に嘘を重ねながら。
この先、また私たちのように帰る場所を失う人たちがいないことを願う。
3.11
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お月様。お月様が好きだ。最近はずっと太陽のネックレスを下げているけれど、ぼーっとみていたいのはお月様。
眠れない夜が続く。どうしても眠れない夜、だんだんと開けてく夜空を見ようとカーテンを引くといつもは月なんて見えないはずなのに、大きな満月が見えた。
新月の時は心が揺れる。だけど眠ってる間とお風呂に入っている間はとても落ち着いていてずっとそうしたいと思う。でもなかなかそうはいかない。一度寝たらどんなにその時間を引き伸ばそうとしてもやはり起きてしまうし長風呂していると人より早く具合が悪くなってしまう。心が体を動かしているように見えて実は心(頭)はわたしという身体の一つの機能であるということ。その二つは密接に繋がっているということ。そんな当たり前のことに気づく。
薄い爪のような月が空に浮かんだ次の日。蕾ばかりだったいつもの道で花が咲きだしたのを見た。
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「アイドルのファンなんです。」
そういうと必ず驚かれる。えっそういうの好きなんですね。と目をまん丸にして驚かれる。えっ、私ってそんなふうに見えてたんですね。わたしも口をまん丸にして驚く。もう長らくわたしはアイドルが好きだ。小さい頃はテレビっ子だったけれどNHKか、民放でもニュース番組以外は怖くて見れなかったわたしがアイドルを好きになったのはいつだっただろうか。いつもどんな時も助けられてきた。わたしの日常とは全く違う空気の中に生きる彼女、彼らに。(ただ彼女/彼らが置かれている状況に関しては色々言いたいことがあるのでそれはまた別の機会に。)
その彼は4年前、病気をしたという。脳の腫瘍。そしてその病気による後遺症が怪我を引き起こし、一時は仕事を諦めかけた。それでもアイドルとして戻ってくることを決めた。それが病気を経験した自分の経験値を活かし、届けることができる道だと思った。と。
自分自身、10月に倒れて病気がわかってからやけにフラットだった。落ち込むこともエンジンがかかることもなく、しんどくもない。でもどこか遠くに影が見える。それがひたひたと近づいているような。そんな怖さがあった。春休みになって一人でぼんやりと考える時間が増えて、その「影」はわたしの杞憂ではなくしっかりと存在していたことを知る。お医者さんに「できない」と断言されることはないけれど昔より幾分か多い配慮と労力を使わないとできないことが増えた。病気だからできないのか、自分の力不足が原因でできないのかふとわからなくなってぼうっとすることが増えた。
元気なの、元気だけど。
だけどね。
そうして言葉にならず喉に詰まるものたち。向き合うことを先延ばしにしていたものたち。
彼のことを知ってから病気について語ったインタビューや言葉を読んだり聞いたりした。その柔らかな目線の先に葛藤とゆらぎを見た。発病から時が経ち、一見向き合う術を見つけて日々を暮らしているように見えるひともいつまでも悩みは尽きないことを知った。
少しずつだけど、わたしも感情を持って自分に向き合ってみようと思う。できるところからゆっくりと。
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