やっぱり、生活はしないといけない。
皆がマスクをしていることに、違和感はもうない。
今は顔面が半分しかないのがスタンダードなのだ。
公共交通機関はマスク無しには利用できないし、よく行くお弁当屋は店の入り口に「マスク着用!してない方、入店お断り!」と張り紙。
顔が半分しか見えぬ。
違和感はないけど結構変だと思う。
スマホが普及されだした頃に感じた「変」と同じだ。
ある日気付いたらスマートフォンが販売されていた。
そこから瞬く間に老若男女誰もが当たり前にカバンやポケットからスマホを取り出し、眺め、なぜ回す。もはや今更「スマホのない世界」などなく、最近生まれた人々は、スマホのない世界など太古の昔であって、どんな暮らし方をしていたかなど想像もつかないだろう。知らんけど。
マスクに話を戻すと、今はドンキやコンビニ、百均、その辺にあるスーパーなどどこにでもある(しかも余ってる)存在だが、ちょっと前までどこにもなかった。
マスク及び消毒液の消滅期である。
どこにもなかった。本当に、どこにもなかった。
町に置かれた除菌用エタノールは盗まれ、消毒用にとアルコール度数の高い酒が開発され、手芸店にはマスク用のガーゼとゴム紐を求めて長蛇の列ができた。
今は、そんな時がまるでなかったかのように、マスクはどこにでもあるし、どの店に入っても入口に消毒液が置いてある。
つまり何が言いたいのかというと、よくわからないのだ。
最近、総理大臣が辞任した。最近、大きな台風ができて沖縄に襲い掛かっている。最近、私はやりたいことをみつけた。最近、なだいなだの書いた「TN君の伝記」を手渡された。最近、志村けんが死んだ。家には小さな猫がやってきて、高知県まで旅したバイクは倒れている。
世界はいつのまにか変わっている。毎日毎秒変わっているはずなのに、その変化に気付かないから変わったのだと思うんだろうか。自分は変わっているのだろうか。
「変わらないね」と人にいわれたら、「いや、少しは変わってる」と思う。
「変わったね」といわれたら、「何も変わってないよ」と思う。
用は世の中が変わること。世の中が変わらにゃならん。世の中が変わるにゃ、人が変わらにゃならん。人が変わるにゃ、精神が変わらにゃならん。
と、彼はいっていた。