今何してる?

たらこ三姉妹の交換日記です。

一年たって、たらこ氏に聞く!

 

2月24日で、沖縄の県民投票からちょうど一年。

これは沖縄で知り合った私たち三人が、一年前を振り返る企画である。

2019年2月24日、沖縄で生活をしていたのはたらこ氏だけだった(たらよは一時的に滞在、たらみは県外にいた)。

ということもあり、話終わってみれば「たらみとたらよがたらこに聞く!県民投票から一年」みたいになった。何卒ご理解のほどを。

余談だが、今回の企画のために電話をした時、三人で喋るのが久しぶりだったという興奮からなのか、本題に入る前、我々は「うんこ」からの「たらみ氏が痔」の話で盛り上がった。(12分間、年齢19・20・21歳)

では、はじまりはじまり〜

 

 

:そのころ唯一沖縄に住んでいたたらこさんに聞きたい。その時どうだった?それからの一年どうだった?

:でも私も県民投票が終わった後、すぐ沖縄を出てしまったけど…。

投票日までの1ヶ月は、(沖縄県としては)二回目だけど意思表示をする場が持てたんだったらちゃんとやろうって思ってたし、投票しようって思ってた。沖縄は何回県民投票やればいいんだ。県民投票しなきゃ民意は示せないのか。という思いもあったけどね。投票結果の70%以上反対は大きかった。でも、意外と県外に出たら誰も知らなくてショックだった。県民投票のこと、こっちではニュースになってなかったんだろうな、って。

大学で話したとき、友達は「へーそうだったんだ。」ぐらいの反応。県民投票も本土の人たちにとっては自分たちの生活の範疇外の問題って感じだったんだ、って思った。

でも一年経ってもそれで諦め感はない。むしろ話しまくってる。昨日も、人と会ったら「今日って県民投票から一年なんだよね」って相手に刺さってなくても言ったりして。でも、ショックはショックではある。こっちにきて、県民の思いが伝わってないって感じが。

:県民投票から一年って節目やけど、沖縄じゃないところにいるたらこの周りで何か反応はあった?

:私が言う前に県民投票を知っている人がいない。でもそう言ってる私も、Facebookでの「去年の今日何してた?」の投稿で県民投票のこと思い出したみたいな感じ。その前もちょこちょこ思い出してはいたけど。

:今沖縄にいるんだけど、24日の新聞見たよ。県民投票から一年ってことで、新聞の一面はほぼそれ。町歩いてても、一年ってことがわかる。

:沖縄にいた私たちの当たり前って、何か包んである新聞にも基地のこと書いてるし、テレビにも、街中にも書いてあること。でもこっちにきて当たり前じゃないって知った。(後日追記:それで気になりらたらこは図書館に行って現在住んでいるところで読める新聞の2/24のものをいくつかみてみた!しかし県民投票についての記事は1つの新聞に一個あればいい方。沖縄県と内地での扱われ方の差を感じた。)

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:一年経ったけど、現場は変わってない感じがある。側から見てただけだったけど。去年もあれだけやってたのになんで、って思う。逆に何をしたら意味が生まれるんだろうって。みんなはそういう無気力感にどう付き合ってる?

:新聞に、(県民投票実行委員の)元山さんのことたちが載ってたんだけど、そのうちの一人が「今のままのやり方だったら変わらないから、新しい視点で考える必要があると思う」って言ってた。座り込みしてくれるのは嬉しいけど、自分が住んでる県に訴えるとか。何も考えずに今までの通りやるんじゃなくて、自分だったら何ができるかって考えたいと思う。私も新聞見て一年経ったんだ、って知ったから自分自身も全然意識してなかった。

:私は今、沖縄県基地問題を知らない人がほとんどという場に身を置いてるじゃん。だからもう相手が全然知らない前提でいる。だからこそ、無邪気で喋っちゃうことにした。今日天気いいですね、と同じくらいのレベルで基地のことを喋る。へ〜そうなんだ、で会話が終わることに対しての怖さが、この一年でなくなった。それこそ沖縄の基地について「日当もらってるじゃないですか」って人にはまだ会ったことない。

何か、入り口になったらいいな、って思って。種まきみたいな。でも結局話してるだけで何もできてないじゃんと思う時はある。だけど消耗する形で基地問題についてなにかしたくないなとおもう。ポジティブになりたい。大きなことをやるような流れの時もあれば、草の根的な活動をやることが自分の中で最善というときもある。今は、天気のことみたいに基地のことを喋ることとか勉強するが最善のこと。今はそういう時間、かなと。

たらみの話で思い出したけど、基地の前に机を持って行って鍋しながら基地のこと喋る、って友達がいて。そうやって新しいやり方を考えたい。

昔話した人がデモって誰でも参加できるわけじゃないよねー。って話をしていて。ベビーカー持ってるお母さんとか、炎天下の中ずっと歩けないじゃん。誰しもが参加できる形ってなんだろう、って考えてる。フラワーデモは、そういう意味では今まで参加しづらかった人たちも取り込めた部分はあるかも。基地問題も座り込みもありつつ、別の形を模索するというのもありかもなって思ってる。

 

:たばこ投票って知ってる?喫煙所に透明な箱が置いてあって、真ん中が仕切られていて、選挙で入れたいところにタバコの吸殻入れんの。

 

要確認!

http://social-design-net.com/archives/31816/ 

意思表示よりも、吸殻対策って感じだけど、、、話ずれる?

 

:楽しくやりたいよね。やってる方が消耗しないって大事だな、って。基地問題は長期化してるし、これからもするだろうし。体も心も疲れちゃうと大変だから、本当はもっと楽しみながらできたらいいよな、って思う。

:朝起きて顔洗うみたいに、スーってできたらいいよね。生活の一部になったら。

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:県民投票で7割が反対って沖縄ではなったけど、本土では3割が賛成って方が大きく取り上げられたよね。あれってどうなんだろうって思った。

:昔、新聞の行間を読むって仕事の人がいたらしい。(例えば「このパスタおいしいね」って言った時に、あのパスタはおいしくないけど、っていう意味を持つこともあるじゃん。それが「行間を読む」ということ)その人が何を推したいかだよね。書き方以上のことを見なきゃいけないんだろうな、って思う。どんな書き方をしてても、この記事の本質ってなんなんだろう。って。切り取り方に載せられちゃいけないんだろうな。自分が一番信用してるメディアも、明日にはヤバイ切り取り方してるかもしれないじゃん。だから、本当にこの記事は何を切り取ってるのか見なきゃって思う。

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:県民投票があった日は、慰霊の日と同じ。その日に平和を考えるんじゃなくて、その日は一年平和について考えたり動いてきたことの振り返りをする日。そういう日になるんだと思う、2月24日は。

私たちは沖縄を出たわけじゃないですか。出て、自分がいるところで、学んだことどう活かすかにこれからはシフトしなきゃいけないと思う。

 一年前、今やれることをやろう、が合言葉だった。10年後とかに、あの時何かしらしたよねって話したいと思う。成功してもしなくても何か基地問題に対してあの時自分から動けた!って。誰かにちょっと話すでも、街頭出てみるでもなんでもいいけど、いつか振り返った時にちょっとでもやれたなって思いたい。

 これを読んでくれた皆さんにとって、2月24日はどんな日だったんだろう。と想像を膨らませています。気付いたらすぎていた?意識的に過ごした?それとも県民投票があったことも知らなかった?

沖縄県が示した約70%の県民が反対しているという結果にこの一年間日本という国がしっかりと向き合ってきたのか。現在政府が行なっていることに本当に沖縄の民意が反映されているのか。疑問が残ります。

あまりの手応えのなさに全てが手の中からこぼれ落ちていってしまうような感覚に襲われることがあります。内地にいると県民投票を含め基地問題はなぜかどこか遠くの南の島で起こっているちっぽけな事件のように扱われているから。

それでもきっとできることはある!と信じています。内地では内地なりの。私には私なりの。そしてあなたにはあなたなりのなにかが。そうやって沖縄の基地の話がそこら中でされたら……何かが起こる気がします。

でも疲れたりよくわからなくなったらお話ししましょう。(私も誰かと話したい)同じように悩む仲間たちで元気チャージして。

長々と書いてしまったけど県民投票から一年目のたらこ三姉妹でした。来年はどんな二年目になるでしょうか。

その時の日本は?沖縄は?そして私たちとあなたは?