たらこの文章をよんで、自分はどんな一年を過ごしたのだろう。と、思い出していた。
一年前、丁度この時期。海の目の前の学校に、仕事で毎日のように通っていた。
学校では冷えた潮風に吹きつけられながら、自分にできることをしていた。
カセットコンロ持ち込んで焼肉したり、海に漂着するゴミを拾ったり、ウミガメをおくったり、焚き火をしたり。
特別なことがない日がたくさんあったり。
そんな中でも小さな喜びや楽しみ、不安定な時を過ごしたのだろうし、失敗もたくさんしたはずでしょう。
毎日変化する海や空を見つめては、ただそこにいただけなのかもしれない。
大きな出来事や移動もなく、気付けば過ぎた。とも言える。
思い返せば一瞬だものね。
でも、ふと、前にみた景色が浮かんだり、見えてなかった粗雑な部分に気付いたりする時に、過ごした時間と得たものは、一瞬で成ったものではないのだとおもえる。
自分にとっての一年と、他の人の一年はもちろん違うんだろう。
もう五年以上の付き合いになる、唐揚げ屋さんがある。
自分は、唐揚げ屋さんのおっちゃんの一年が、ずっと気にかかっている。
おっちゃんとの出会いは特に記憶にないけど、おっちゃんの店は通学路にあったものだから、よくみんなで押しかけては唐揚げを食べていた。
愛想がよかったのは最初だけで、すーぐ「うるせえ!!」「帰れ!!!」「配達してこい!!!」「自分で唐揚げ揚げろ!!」「猫に餌やっとけ!!」とかなんとか、いつも誰よりもでかい声で我々と遊んでくれていた。
下ネタ多いしうるさいおっちゃん。
あんまん持ってったら途端に機嫌良くなるおっちゃん。
そんなおっちゃんが店を閉め出してから、一年ぐらい経つと思う。
最初は時々やったけど、ある日からずっとお店は暗いままで、たまに通るたびに窓ガラスに書かれた文字がかすれ、看板が古くなっていく。
いつも生肉をいれていた猫の餌入れは汚れていき、ライトは埃がつもっている。
おっちゃんはどこにいったのだろう。
揚げたての唐揚げの匂いと、オレンジに光る電気はどこに消えたのだろう。
おっちゃんは、どんな一年を過ごしたんだろう。
おっちゃんがどうして店を閉め出したのか、知っている。
でも、どうしたらいいのかわからない。
自分に何ができるんだろう。
勝手に無力な気がして、「でも、すぐ帰ってくるかもしれないし。明日にでも店は開くかもしれない」と、都合のいい事を考えては店の前を通り過ぎた。
そして一年がたった。
お店は暗いままだ。
一歩踏み込む勇気がなかっただけだと諦めそうになるし、正直にいうと未だに踏ん切りがつかない。
でも、明日はお店に行って勝手に掃除しようと思っている。
一年かかって、やっと、これだけの決意しかできないね。
次の一年はどんな一年になるんだろうか。