無性に眉毛を剃りたくなって、剃り出したらあれよあれよと左の眉毛がきえちゃったタラミです。アンバランス〜
プラスチック、きましたね。
ゴミって、生活と切り離せない事だと思う。必ずや登場すると予感してました。
何をゴミとするかって話もしたくてたまらんけれども、今日のところは置いとこう。
実はゴミのことは随分前から興味があったんだ。(こんな風に書くと、ゴミ好きの変態って思われそう。まあ変態でもいいか)
きっかけは三、四年前、学校の授業。
確か自然講座という名前だと思う。
生き物の話に環境の話。その中にゴミの話もあったのです。
ちなみに某タラ◯さんはヨダレ垂らして寝てたような寝てないような、、、
話を戻すと、すごく心に残った話があったのね。
人間が、ゴミを捨てる。 例えばその辺の道端でや溝、森や川
そういうゴミは巡り巡って海に行く。
ゴミにも色々あるけどまあ、どんなものでも時間とともにちっさくバラバラになっちゃう。
で、目に見えないくらいちっさくなったゴミ、主に土に還りにくいプラスチックとかをプランクトンサイズのちっさい生き物が食べる。プランクトンを小魚が食べて、それを中くらいの魚がたべて、それをおっきい魚が食べて、それを釣った人間が頂きます。
つまりね、巡り巡ってるんだってこと。それまでは捨てたゴミがどうなるかなんて気にしなかったけど、自分に少なからず戻ってくるというのは衝撃だった。自然ってすごい。結構極端な事のようだけど、想像だよなあ。ジョンもいってるよ。イマジンしてごらんって。
ゴミに関しては世界問題になってきていて、日本は遅ればせながら〜という感じなのかな。だからこそ今考えるのはタイミングも最高だ思う。
先日も、しばらくぶりに文友(文通友達)と連絡とって、同世代やけどゴミのことを考える仲間を作ってて感動しました。いや〜縁を感じる。
Bye Bye Plastic Bags Tokyoという名前で、今プラスチックに対する認識度調査をやってるようだ。
https://goo.gl/forms/anF6IiihWq3atHdY2
タラコさんのいう通り、ビニール袋はとっても手強い。生活に浸透している。なんなら毎日のように見るものね。スーパー、コンビニ、ショッピングモール、プレゼントのラッピング、、、
の、中から生まれた風呂敷というアイデア。いや、これはおもしろいね。
クリキンディのように「私は、私にできることをしてるだけ」という考えも素敵だしガンディー曰くの「あなたのやっている事に意味なんかない。でも、あなたはそれをやんなくちゃいけない。世界を変えるためではなく、あなたが変えられないために」ていうのもいい。
風呂敷やってみようか。なんかステキなデザインとか考えてさ、唐草模様蹴散らして思わず手に取りたくなるような。
絶対楽しいやろうなあ。
マリーモンドに安全ピン。人の数だけ考えがあるっていうけど、ほんとに思い知らされた。
人間て、面白い。