こんにちは。たらよです。
今日はちょっと、ハッピーな話はできないと思いますが、
心にゆとりがあるときに読んでください。
ときどき、考えてしまうこと。
わたしが生きとる意味は何やろう
一回考えだすと、どんどんはまっていく。深く、深く、沈んでいく。
ほとんどの時間、たらよは何か しています。
SNSを見ていたり、歯を磨いていたり、本を読んでいたり、ご飯を食べていたり、人と喋っていたり、洗い物しながら考えごとしてたり。
常に何か しているのです。
だけど、何もない時間ができると、
ぽつんと一人になる。自分の体だけがある。
そんなときに考えてしまう。
今、ここでわたしの命が終わったら。
あともう少しで呼ばれるだろう昼ごはん
そしたらその片付けがあって
その流れで夜の仕事の準備をするはず
それが終われば休憩の時間に本を読む
休憩が終われば仕事
仕事が終われば夜ごはん
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
毎日毎日続いている糸は、いつでも切ることができる。
切れてしまうこともある。
わたしがいなくなっても
新聞は朝、決まった通りに届くだろう。
今聞こえているWindBellも、変わらず鳴っているだろう。
いる意味って何じゃらほい。
そう思ってSNS見ていたら、相模原事件のことが目に入った。
なぜ障害者ばかりを?相模原殺傷 被告との対話【後編】|「NEWS23」スタッフノート|note
わたしがいる意味は何か、という問いを
相手に向けたことは一度たりともないけれど、
殺した人が「特別におかしな人」とは
とてもとても思えなかった。
その人、事件の前に生活保護を受けていて、
自分のことを
「大して存在価値がない人間」
だと思っていたと。
そして、
事件を起こしたことで
「少しは「役に立つ人間」になったと思います」
とあります。
役に立たない、存在価値がない
ってわたしも!
だから
わたしはもっと知りたい。
わたしのために知りたい。
何かものすごいことしていなくても、
生きてるだけでいいんだよ〜
って自分で思えるようになりたい。
最後にちょっとした発見。ちなみに今までの話と全然関係ないよ。
あのね、四つ葉って眠るんだよ。
夜になると「ごちそうさま」みたいに葉っぱ二枚合わせるの。
見てね。