『裸足で逃げる』を読むまでは次は書けぬ、
と思ってイトテキニ書いてなかった。
岸政彦さんの書評からもう、、、読まなきゃ、これはと思う。
メモ代わりに、読後思ったことを記す。
・本に出てくる数人の少女(というか我々の同世代の女性)、
心も体も殺されるような経験をされていても
その迫った選択に
「死」という選択肢はなかった。
・著者、上間陽子さんの存在。
自分ではもうどうしたらいいのかわからない、誰かに助けてほしい、
その誰かになれる上間さん。
たら子ちゃん、図書館の人に頼んでぜひ読んでね。
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タイトルの通り、
「怒るについての私見」
について。
私、怒れないんだよねー
とたらよが言ったのは今年がはじまったばかりの1月1日、真夜中だったか。
そうなのである。
私は怒れない。
怒りを感じる時はよくある。
でも大抵のときは怒れない。
自己分析すると怒れない理由は主に3つ。
❶100%相手が悪い時じゃないと怒ってはいけないと思ってしまう。
❷怒ったところで自分の気持ちが相手に正確に伝わるかわからない。伝わらなければ、自分の多大なエネルギーの無駄だと思ってしまう。なぜ私が怒ったかを考えるのではなく、以後私を「怒らせないように」振る舞われるのが至極いやだ。
❸今、怒ったらちょっと気まずくなっちゃうよな、と空気を読んでしまう。
こんな話をしたら、たら子ちゃんから2つの考えをもらった。
1つ目、
2つ目、
ある方のFacebookの投稿より。
ぷんすかぷんすか怒ってばかりの投稿を続けましたが、近ごろ思うのは、ちゃんと怒らなくちゃと思ってネガティブな感情をたぐりよせてわざわざ怒るのと、いちいち怒っちゃだめと思ってポジティブにならなきゃと怒るのをがまんするのは、怒るか怒らないかでは一見正反対なんだけど自分を無理させてる意味ではまったく同じだなーということ。
これは特に、いまの政府に対してという意味に限定して思うんだけど、たとえ、ほかのだれかが、怒るのはあたりまえ!とか怒らないなんてどうかしてる!と訴えてても、自分がそうするにはしんどいなら休んでてもいいのだし、またべつの誰かが、怒りをコントロールする賢さを持たなくては、と諭してても、そうだよね怒ってばっかはよくないよねと自分を嘆くことはなくて、とにかく、怒るのは義務じゃないし、怒ったりふりはしなくていい。逆に、怒るな、は抑圧だから気にしない。怒るか怒らないかは、自分のバイオリズムで好きにやろう🐢🐇🌈
それから何日も経った一昨日。
夜9時からはじまって夜中の1時半まで話していた知人の話。
「話さなきゃわかんない。家族だって友達だってさ、本当は何考えてるかなんてわかんないよ」
よく言われる言葉だし今更、って思うけど
今の私には怒りの話とビビビって繋がったんだよね。
自分が思ってることを伝えるための「怒り」なんだ!
怒りは目的じゃなくて手段。
その手段は人によって違ってていいと思う。
泣きながら伝える、
おもしろく伝える、
冷静に伝える、
怒りで伝える。
そう思ったら、スーッと便秘が解消されるようでした💩