今何してる?

たらこ三姉妹の交換日記です。

#BlackLivesMatterについて話してみる。

「お前の膝、いつも汚れてるよな」

 

#BlackLivesMatterについて書こうと思って考えていたらこんなことを言われたのを思い出した。

確かその時わたしはスカートか短パンを履いていて膝がよく見える状態だった。それをみたある男子が徐に言ったのだ。お?と思ってひざを見てみるが何もない。汚れてないけど?というと、黒くなってるじゃねえか。と言ってきた。そこで気づいた。ふーん。こいつわたしの肌の色のこと言ってんだ。と。

 

「ちょっとやそっとじゃ変えられないこと」ってある。親、生まれたところ、血、家族、性別、体の造形。変えられるのだけど、それには大きな力をかけなくてはいけない。(あえて代償とは言わない。)今思えばわたしが一番他人からつっ突かれないように、気づかれないようにしてきたのはそこだった。特に自分が海外にルーツを持つということ。肌の色が違うこと、髪の毛がストレートではないこと、他にもいろいろ。でもやっぱり一番嫌だったのは嫌だったのは隠したいけどどうにもならないところ。他者から可視化できる身体についてだった。いろんなことを思い出す。そういえば通ってた学童の一部の人たちから裏であの黒い人(奴、子)と言われてたのをしった時は端的にショックだった。わたしの名前はどこに。

 

#BlackLivesMatterというハッシュタグが現在そこかしこで見えるのはミネアポリスである黒人男性が警官によって殺されたから。様々なところでデモが起こっている。これを暴動と称している人たちがいるがそうじゃないとわたしは思う。詳しくは調べてみてほしい。

今回のこととは違うだろう。と思うかもしれない。アメリカで黒人が警察に殺されたこととお前が友達から肌の色を揶揄された事は全然違うだろうと。でも肌の色を揶揄され続けてきた者として、当事者として。このわたしの経験の行く末がミネアポリスでの事件だと言いたい。そしてきっとこれは近いうちにいろんな形で日本でも起こりうる事だと。昨日わたしはデモの最中に言い争う二人の黒人男性の動画を見てボロボロ泣いた。(TwitterFacebook等で調べるとすぐに親切な方が翻訳してくださっているのでぜひみてみて欲しい)感動したからでもなく、同情したからでもない。45歳の彼と31歳の彼。そして途中で出てくる16歳のデモの参加者。どの世代になってもどの時代になっても、命の危機を晒して自分の権利を守らなくてはいけない人たちがいる。ある社会学者が「マジョリティは気にしなくていい人である」と言っていた。マイノリティは自分の権利を守るため、生活を守るためなどいろんな理由で気にしなくてはいけないことがある。守るために行動しなくてはいけない局面がある。それをしなくていいのがマジョリティである。ということ。もちろんアメリカにおける黒人、さらに言ったら世界における有色人種の割合はマイノリティなんかじゃない。しかし確実に肌の色が標的になる私やアメリカでデモやってる人たちには「気にしたくなくても気にしなくてはいけない」ことなのである。辛い。「どんなに無視したくても」行動しなくてはいけない。怒らなくてはいけない。泣きたくなってくる。この場合私たちに行動しない、怒らないという選択肢はないのだ。だってそうしないと明日がないかも知れないから。大切な誰かが、ただ道を歩いているだけで殺されるかもしれないから。

 

この国にもかの国のようになる種は山ほどある。わたしの目はそれを山ほど見てきた。もし何か思うことがあれば今のアメリカの状況をちょっと調べてみてください。そしてそこに何か働きかけると同時に今の日本も見返してみてほしい。この国は肌、ルーツ、国籍の違う誰かにどんな風に接しているでしょうか。それは暖かい行動でしょうか、言葉でしょうか。ある国の人、ある身体的特徴を持つ人を揶揄したり、罵ったり、不必要に怖がったりしていないでしょうか。(ちょっと専門的にいうとこれをジェノフォビアといいます)その一つ一つがいつか大きな塊となり、誰かに襲いかかる。このまま載せようと思ったら急にブルーハーツの青空を思い出しました。いいたいことはそのままです。

 

生まれたところや皮膚や目の色でいったいこの僕の何がわかるというのだろう。

 

私のフィールドから#BlackLivesMatterへ向けて。