今何してる?

たらこ三姉妹の交換日記です。

ポテサラがつまった。

久々に涙がでた。

まあ久々といっても1ヶ月ぶりくらいだけど。

そうだ、先月はゴミを見て涙がでた。

ゴミ置小屋と化した物置小屋の中で立ちすくみ、

あーあ、人間はゴミを出すばっかりだ、と思い

途方に暮れて、気付いたら泣いていた。

うける。ゴミ見て泣いてるなんて。

 

約1ヶ月ぶりの涙はある夜のことだった。

夕食の前、わたしの最も身近な男性Aに、

Twitterで話題となった「ポテサラおじさん」*のことを話した。

(*ある店舗のお惣菜コーナーで、ポテトサラダを買おうとしていた子連れの女性に対して、見知らぬ男性が「ポテトサラダぐらい作ったらどうだ」と言い放った件。その言葉には「母親なら」がついていたことをわたしは今知った。これから書くことはそれを知らなかった時の話である)

 

彼は早速ネットで調べてきて、夕食中に

「オレもそういうところある」

とまずおじさんに同情し、こんなようなことを言った。

「この問題は二つある。(本当の問題を)女性問題にすり替えとる・・・」

 

このあたりからわたしは感情が爆発してきて、

なんとかして反論したいと思い、頭をまわす。

この場ではなるべく冷静に、自分の放った言葉の要点を記そうと試みる。

 

わたしの反論その①共働きで、彼女はパートを早く切り上げて、子どもを迎えに行って、スーパーでポテサラ買おうとしたとしても、ポテサラ発言できるか。

わたしの反論その②もしポテサラ買おうとしてた人が彼女と同年代の、男性だったらどうだったと思うか。

 

①に対して、A氏の返答。

「でも(今の日本の)ほとんどは男が稼いどる。役割やよ」

【補足】日本の既婚女性は稼ぎが少なく(無く)、既婚男性のほとんどは外に出て仕事をして帰ってくる、その男性にポテサラを作れなんてムリ、という意味らしい。・・・共働き家庭が一般化していると思っているのはわたしの勘違い?もしそうでなくとも、女は料理(家事)するもの、としてよいのだろうか。

②に対しては、

「男も女も関係ない」

【補足】ん??①と矛盾してるかな?わたしの知能不足?

 

 

これら一連の流れを聞いていたB氏の意見。

「その人(子連れ女性)のこと全然知らん人がそんなん言うんはおかしい」

 

 

このあと、その日の夕食のポテサラならぬポテコロを

口に頬張っているわたしの喉がきゅうって細くなって、

食事を続けることが困難になります。

わたしは一時その場を離れ、第三者の誰かと話そうと思い、

たまたまメッセージをくれていた友達Cに電話をかけます。

 

⇩以下、C氏がわたしの話を聞きながら喋ったこと⇩

  • おじさんはポテサラなめてる。美味しいポテサラ作るんがどんだけ難しいか(と、ここで大人のポテサラのレシピを教えてくれる。ポテト、マヨ、大葉、わさび、塩昆布、あと粗挽き胡椒。やってみよ)
  • (たらよは)深読みしすぎ。おっさんみたいな人、どこにでもおる。ただクレームをつけたい、かまってほしい人。ジェンダーとか考えると、かえってそれが線引くことになっちゃう。
  • 最終的に、「なんか、ひっくり返したいよね」。ポテサラくらい・・・に対して、そうですよね〜だけどここのポテサラめっちゃ美味しいんですよ〜とか、自分も作ってみたんですけどやっぱかないませんわ、とか。「あえてバカになってみる」。

(クレームに対していちいち反応してたら)エネルギーの無駄遣い。誰も幸せにならへん。そのおじさんは誰でもええねん。男でも女でも。「上手にやること」

 

 

電話を切ったあと、わたしの感情は粗熱がとれていた。

だけど、なんかまだ気持ちがすっきりしなかった。

 

わたしが寝る前に考えていたこと。

無意識の差別がある(いや、差別のほとんどはそうか?)・・・本当に、誰でもよかったのか。女だから、子連れだから、じゃないのか。

深読みしすぎ?差別ってなんだったっけ。なんだったら差別って認められる?

 

翌日。

A氏はすっきりとした顔で

「納得した。(中略)それぞれの問題なんや」

と言った。

 

 

わたしはまだ考えている。

 

ここには書きこぼしているが、

A氏は「ステレオタイプ」という言葉を、あの日の会話で使っていた。

しかしそれは、

母親だったら、という言葉に対してではなく、

おじさん、という言葉に対して使ったものだった。

おじさんもいろいろいると。

 

これはわたしの推測だが、

最初にA氏が言った「二つある」という問題のもう一つは、

料理を自分で作らないこと

なんだと思う。

今回のポテサラ事件に対しても、

女性に対する構造的な差別の話というよりも、

食生活に対する問題として聞いていたのではないか。

そう考えるとわたしの反論②に対する返答もうなずける。

 

 

 

それはそうと、

わたしは今も考えている。

何がこんなにもわたしを納得させないんだろう。

なんでここまで通じないんだろう。

 

意見の違う人は、敵ではない。

批判は、人格の否定ではない。

 

「わかりあえないことから」はじめて、どうしようこれから。